
女性ホルモンはオオサカ堂!
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こんにちは、まるまるです
今日はノンバイナリーや性別違和、GIDの悩みを、シスジェンダー(生まれた性別と自認する性別が一致する人)が軽く扱うことの危うさについて、深く掘り下げてみたいと思います。 私自身、性同一性障害(GID)の当事者として手術を経験した立場から、皆さんに考えてもらえるような内容を書いてみました。
Coconaさんの公表:一人のアーティストの内なる闘い
記事を書くきっかけになったのは、最近話題になったXGのメンバー、Coconaさんのカミングアウトとそれに対する批判があったからです。 Coconaさんは20歳の誕生日を機に、手紙形式の投稿で自身のアイデンティティを明かしました。 内容は、AFAB(出生時に女性と割り当てられた)transmasculine non-binaryとして、今年初めにトップサージェリー(胸の切除手術)を受けたこと、そしてその傷跡を公開したものです。 この公表は、単なる「ニュース」ではなく、Coconaさん自身の長い葛藤の結晶です。 しかし、インターネット上では、批判的な意見が散見されます。 例えば、「女性らしさを強要する男たちの視線から逃げたいだけじゃないか」「一人の人間としてではなく、女として扱われるのが嫌だったんだろう」「若い子が周囲の圧力や流行に流されて手術してしまった」などです。 これらの声は、Coconaさんの選択を「被害者意識」や「一時的なトレンド」として矮小化するものです。 こうした反応は、残念ながら、LGBTQ+の公表が起こるたびに繰り返されるパターンです。 なぜこうした批判が生まれるのか? それは、発言者の多くがシスジェンダーであり、性別違和の本質を理解していないからだと、私は考えます。
批判の根源:シスジェンダーの「無自覚な特権」
私自身、GIDの当事者として性別適合手術を受けた経験から言えるのは、こうした批判は「何もノンバイナリーやGIDについてわかっていない」人々から来るものだということです。 シスジェンダーの人々は、自身の性別にほとんど違和感を抱かないため、日常生活で「性別」というものを意識する機会が我々よりも少ないのです。 社会は今でも、仕事、ファッション、関係性など多くの面で性別による区別やラベル付けをします。 例えば、トイレの分け方、服のサイズ表記、または「女性らしい」「男性らしい」というステレオタイプな期待。 でも、シスジェンダーにとっては、これが「当たり前」すぎて、違和感や拒絶感があまり生じない。 むしろ、それが快適でさえある場合も多いです。(かわいいやかっこいいと呼ばれることなど)
一方、性別違和を持つ私たちにとっては、自身の身体や社会の扱いが苦痛の源泉です。 鏡を見るたび、名前を呼ばれるたび、服を選ぶたびに、心と身体のミスマッチが突き刺さるような感覚。 こうした苦しみを抱えながら、ようやく「なぜ自分はこう感じるのか?」と探求し、性自認という概念にたどり着くのです。 性自認とは、単なる「ラベル」ではなく、深い内省の産物。 実際、LGBTQ+の調査(例: GLAADのレポート)では、トランスジェンダーやノンバイナリーの人の多くが、10代から20代にかけてこの違和を強く感じ、手術やホルモン治療を選択するとされています。 Coconaさんの場合も、20歳という若さで公表したのは、決して「流行」ではなく、長年の内面的な闘いの結果でしょう。
興味深いのは、「性自認」という言葉自体が、シスジェンダーにとっては馴染みが薄い点です。 違和がない人は、わざわざ「自分は男性/女性だ」と自認する必要がないからです。 まるで、空気を呼吸していることを意識しないようなもの。 比喩で言うなら、シスジェンダーは「平らな道」を歩いているのに、性別違和の人は「坂道や段差だらけの道」を進むようなもの。 平らな道の人が「道の大変さ」を想像できないのは当然ですが、それを「大げさだ」「流行ってるだけ」と軽んじるのは、相手の主体性を無視した傲慢さです。 (もちろん道を歩いたり走ったりするのは大変ですが、今回は性別問題だけの道を考えています)
シスジェンダーの「逆張り主張」の問題点
さらに深刻なのは、シスジェンダーの一部が「私も性を自認していないから、ノンバイナリーだ」と主張するケースです。 これは、順番が完全に逆転しています。 性別違和がないからこそ、自認を意識しないのであって、それをノンバイナリーの定義に当てはめるのは誤りです。 ノンバイナリーとは、男性/女性の二元論に収まらないアイデンティティを指し、多くの場合、強い違和感や探求から生まれるもの。 シスジェンダーがこうした主張をすると、当事者からは「わかってくれない人が、私の決断を否定してくる」と感じてしまいます。 Coconaさんの公表に対する批判も、まさにこのパターン。 彼女の選択を「周囲の圧力に屈した」と決めつけるのは、当事者の主体性を踏みにじる行為です。 (男性からの視線や圧力が、彼女を現在の思考にさせてしまったという意見がありますが、「男性」だけではなく女性を含めた社会の視線・圧力だと思います)
理解への一歩:共感から始まる社会の変化
最後に、皆さんに呼びかけたいと思います。 ノンバイナリーや性別違和の悩みを、シスジェンダーが軽んじることをやめましょう。 それは、相手の痛みを無視した暴力です。 代わりに、聴く姿勢を。
